はじめに
平成の始まりとともにカレーハウスCoCo壱番屋の退職後、私は株式会社アトムでフードサービス業界に飛び込みました。平成3年10月から平成13年4月までの約10年間、アミューズメント・フードサービス業界で店長・管理職としてさまざまな経験を積み、飲食業界の変遷を肌で感じてきました。当時の時代背景と共に、その体験を振り返ります。
※当時の情報の入ったハードディスクが故障のため、記憶からの情報で数値がずれている点があることをご理解ください。
できるだけ簡潔にまとめましたが、今後細分化した体験談などの事も取り入れて書いていきます。あまり詳しくはありませんが、京都アトム(フーズネット)との兼ね合いについても書けたらと思っています。
1. 平成初期:外食産業の拡大と多業態化
平成初期はバブル崩壊直後でありながら、外食産業は堅調に成長を続けていました。消費者のライフスタイルが多様化する中で、「ファミリーレストラン」「回転寿司」「居酒屋」などの業態が次々と生まれ、多業態化が進展しました。
私が最初に勤務したのは、本社前の店舗で平成6年10月からの「アトムボーイ上社店」。回転寿司ブームの波に乗り、店舗運営の基礎を学びながら、原材料管理や労務管理を担当しました。当時の回転寿司は「低価格・高回転」がキーワードで、家族連れや若者層をターゲットにしていました。
2. 平成中期:差別化戦略とメニュー開発
平成8年4月から「アトムボーイ町屋店」へ異動しました。売上は月商600万円と安定していましたが、競合店舗が増加し、価格競争が激化。「低価格だけでは生き残れない」という課題に直面しました。
長野県勤務で新規店舗箕輪店店長を任命されるが、もっと店舗経営について勉強したいため、平成9年9月からは「和食えちぜん阿久比店」へ異動。当時の売上は月商1,800万円と好調でしたが、和食業態では「高品質・健康志向」が求められていました。そこで、季節メニューやヘルシーランチメニューを考案し、ターゲット層を拡大する取り組みを実施しました。
この時期、業界全体では「ファミリー向けからシニア層へのシフト」「居酒屋業態の細分化」などが進み、消費者ニーズの変化を感じました。
3. 平成後期:経営の合理化と人材教育の重要性
平成10年10月から「和食えちぜん南濃店」では、料理長としてパート・アルバイト約50名のマネジメントに従事。売上は月商2,300万円を誇る繁盛店でしたが、人材不足が課題となっていました。人件費の上昇や労働人口の減少を背景に、飲食業界全体でも「従業員教育・定着率向上」が重視されるようになっていました。店舗近くのJA系列のドライブインが閉店したことで、普通はラッキーと感じるところを危機感さえ感じました。
私は、業務マニュアルの見直しや新人教育プログラムの導入により、未経験者でも即戦力化できる仕組みを整備。結果、離職率を20%改善することに成功しました。
平成10年7月には「和食えちぜん八日市店」へ異動し、店長として新規採用の面接を100名以上担当。コミュニケーション能力を重視し、チームワークの強化による業務効率の向上を目指しました。
4. 飲食業界の変遷と未来への課題
平成の時代を通じて、飲食業界は次のような変遷を遂げました。
- 多業態化:ファミリーレストランから専門店へのシフト
- 価格競争から価値競争へ:安さだけでなく「健康・品質・体験」を重視
- 人材マネジメントの重要性:労働力不足を見据えた教育・育成施策の強化
私自身も、現場の課題解決を通じて「人材こそ最大の資産」であることを学びました。
しかし、平成13年頃には、時代に合わない業態拡大や内部の不正問題が浮上。新業態の乱立による経営の迷走に不安を感じ、退社を決意しました。
まとめ
飲食業界は、消費者ニーズや社会的な変化に柔軟に対応しながら成長を続けてきました。私が株式会社アトムで経験した10年間は、まさに業界の変遷と共にありました。
今後も飲食業界は、デジタル化・人材教育・新たな食体験の提供が求められるでしょう。現場で学んだ知識と経験を活かし、変化に対応する姿勢を持ち続けたいと思います。
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